野心的なフリーターのぼやき

23歳の高卒フリーター。日常、社会についての駄文を垂れ流します。ご訪問、ありがとうございます。

敬語が日本をダメにする理由

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敬語は社会に和をもたらす?  

 日本語には敬語があるから、コミュニケーションが円滑にすすむ。敬語があるから、和を保てる。そんなことを言う人がいる。本当にそうだろうか。

 

タメ口で話しかけられるとイラッとする理由

 そもそも敬語には、どんな効果があるんだろうか。たとえば、こちらが敬語を使っているのに、相手が敬語を使っていなければ、どう感じるだろうか。私なら、こちらが一段下の立場なんだな、って感じてしまう。逆に、私が敬語を使っていなくて、相手が使っていれば、こちらの方が偉い立場なんだなって無意識に感じてしまう。敬語の1つの大きな効果は、上の立場と下の立場をはっきりさせることだと思う。

 

江戸時代なら敬語もアリかも

 もちろんこれは必ずしも悪いことではないと思う。相手が敬語を使ってくれば、こちらはいい気分になるからだ。階層が比較的に固定化している時代、たとえば、江戸時代なら、敬語はいいことずくめだっただろう。年功序列で動く社会でもそうだろう。しかし、上の立場と下の立場が簡単に入れ替わる時代、下剋上の時代ならどうだろうか。

 

敬語は現代日本の癌

 たとえば、かつての部下が出世して、自分の上司になったとしよう。もし敬語というものがなければ、ただ仕事における役割がかわっただけ、と割り切れるかもしれない。しかし、敬語によって立場の上下がはっきりする結果、部下の出世は自分にとってかなり屈辱的なものとなる。それまでは敬語を使っていなかったかつての部下に、今、敬語を使わなければならないのだ。かつての部下にしても、元上司に敬語を使うべきか、使わないべきか、悩むかもしれない。元上司は、使いづらい部下となる。こうして、気まずい立場の逆転がおこる。下剋上の時代において、敬語は社会に和をもたらすどころか、社会に摩擦をもたらすのだと思う。

 しかし、軽い摩擦ですんだらまだいい方かもしれない。この摩擦はさらに悪化して、日本社会の様々な場面に、致命的な負の影響を及ぼしているように見える。

 

日本企業の競争力を低下させる敬語

 1つ目に、年功序列を守るという影響があるように思う。かつての部下に敬語を使わなければならない、という屈辱を回避するために、企業はできるだけ年功序列を維持しようとするだろう。しかし、世界中の企業と戦わなければならない時代に、年齢という能力と無関係な要素を含んだ人事制度をもつ日本企業は生き残っていけるだろうか。

 

女性の社会進出を妨げる敬語

 2つ目に、女性の社会進出の障害となっているのではないか。多くの女性は、出産+育児により、一定の期間職場から離れざるを得ない。職場に戻ってきてみると、後から入ってきた後輩たちが、自分より仕事の経験を積んでいることもあるだろう。後輩たちの方が役職があがっていることもあるかもしれない。そうなると、かつての後輩に敬語を使わざるをえず、気まずい思いをすることになる。かつての後輩にしてみても、気まずい関係にある先輩は、使いづらい部下だ。企業にしてみれば、職場にこんな摩擦をおこすくらいなら女性なんていらない、と思うかもしれない。こうして、女性はますます企業から敬遠されるようになる。

 

公務員の天下りを増やす敬語

 3つ目に、公務員の天下りの原因の1つにもなっている気がする。かつての部下に出世で抜かれ、敬語を使わないといけなくなるのは屈辱だ。そうなるくらいだったら組織から出ていこう、という発想になってもおかしくない。こうして、かつての部下に出世で抜かれた上司たちのために、天下り先が次々と作られていくことになる。

 

サービス業を過疎らせる敬語

 4つ目に、サービス業の人気を落とす原因の1つになっている気がする。日本のサービス業では、対等な契約のはずなのに、なぜかサービスを提供する方が敬語を使い、カネを提供する方は敬語を使わずに偉そうな態度をとる。店員が「ありがとうございます」と言っても、客はそれを無視するのがほとんどだ。

 ここでも敬語は、店員の立場をはっきりと下にし、客の立場をはっきりと上にしている。その結果、一度、客として偉そうに振る舞ってしまうと、店員として働くことが、上の立場から下の立場への転落、ということになってしまい、屈辱となってしまう。その結果、サービス業はますますだれもやりたがらない仕事となる。

 

 やっぱり敬語は日本の癌

 現代日本では、無駄が許されない。若い才能は活用しなければならないし、女性も働かなければならないし、無駄な天下りも減らさなければならないし、人気のないサービス業にも人材をおくりこまなければならない。そのためには、人の配置を柔軟にすることが、必要不可欠だ。しかし、敬語の、必要以上に立場の上下をはっきりさせる効果は、それを妨げることしかしていないように見える。

 

敬語の呪縛から自由になろう!

 日本をもっとよくするためには、敬語の罠から自由にならなければならないと思う。そのためには、誰にでも敬語を使うことで、敬語のもつ、立場の上下をはっきりさせる効果を打ち消さなければならないだろう。もちろん、家族や友人にまで敬語を使え、というのではない。ただ、部下や店員にも敬語を使うべきだと思う。日本のさらなる発展は、案外こんな小さなことからはじまるのではないか。